余白
私のセッションでは、セッションを始める前に事細かな説明はあまりしない。またセッション後に宿題や課題を出すこともほとんどない。なぜなら自分があまり好きでないので。
実はセッションで基本的なことはレシピに沿って同じことを行っている。(ことが多いぐらいかな。)
しかし、受け手によって感じることやそこから起きる結果は全く異なる。ホントに十人十色なのだ。
なので、こういうことを目的で行うためにどういったことをするといったある意味理論的なものが邪魔になったり無意味になることがある。
これは理論が必要ないということではない。あくまでその理論をその時必要として感じた受け手の感受性が大切と感じている。
全てを理論的に構築して導くスタイルもあり、それはそれで憧れる。
知識と情報を駆使し、さらにそれを叶える技術が伴って、その結果ほらスゴイだろと。
でも、私のスタイルはどちらかというと、自分もクライアントもいわゆる理論がまだたたないところに向き合った時の偶発的な何かがもたらす方に期待して一緒にスゴイねと味わうニュアンスだ。
一方的に教えるのでなく一緒に感じたことを互いに表現して交わしていく。
これがセッションたる所以だ。
セッションに参加できる余白や余地があるのは、プラクティショナーとクライアント双方にとって、対等な関係性で心地よいものだ。